侑の空、Youの地図

あらまし
高咲侑はスクールアイドルでもプロデューサでもないのに部室に自然と入っていける特権的地位を得た。これは既存のセルフプロデュース型アイドルアニメとアイドル運営系ソーシャルゲームのいいとこ取りをした形態である。しかし、この特権的地位はファンが少ないからこそ成立したものであった。ファンが増えてしまえばそんなずるい存在は許されない。理由のない特権が許されなくなればただのファンになるしかない。そこで最終回は同好会メンバーから客席に送り出され、一介のファンという立場に落ちた。一方、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会はそう簡単に終われないコンテンツだ。しかもこれだけ人気と認知を得た高咲侑なしでの続編はありえない。そこで楽曲提供者という立場を示唆してエンディングを迎えた。これは高咲侑が視聴者にとってアイドルになった事に他ならない。

初めに

大好評の内に放送終了したラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会、今回はその主役たる高咲侑について見ていきたい。

アニガサキではアイドルアニメの慣例通りお当番制を採っており、個別回を通して話数が進む。同好会自体は早期に再結成されたが、実質的なスクールアイドルとしての加入はお当番回であると見ていいだろう。お当番回も個々が抱えているトラブルを解決し、スクールアイドルとしての自分を確立するという伝統的なものとなっている。勿論、このトラブルは基本的に侑が介入して解決する。

部活動として行われ指導教員もいないスクールアイドルはセルフプロデュースアイドルである。一方、侑のスクールアイドルを支援する立場はプロデューサやマネージャといった事務所運営型のソーシャルゲームのプレーヤのようでもある。ゲームのアニメ化としては1つの形態なのだろう。

いいとこ取りのあなたちゃん

セルフプロデュース型のアイドルアニメだとリードできるような存在がいるものだ。グループのリーダだったり、伝説的なアイドルだったり、ライバルだったりと類型は色々あるが、きっかけになるような存在がいる。その火種を用いてアイドルは自らアイドルになっていく。その過程で自ら抱える問題と対面する。そしてそれを解決する事によってアイドルになるのである。

一方、事務所運営型のソーシャルゲームでは各人が抱えている問題を解決する為にプレイヤが存在する。そうでなければプレイヤの存在価値はない。また、アイドルのスカウト時を除けば、キャラクタはそもそもアイドルなのでアイドルになるというプロセスが存在しない。アイドルとしての有り様やアイドルへの向き合い方は変わったとしても、アイドルというロール自体に変更はないのだ。

アニガサキではそもそも同好会に属していた者からスクールアイドルをほぼ知らなかった者までもがスクールアイドルになる。一度壊したはずの組織を使い回す形となっている為、新たにアイドルになっていくセルフプロデュース型で出てくるようなアイドルになるイベントも、事務所運営型のようにアイドルとして抱えていた問題を解決するイベントもできてしまう。わかりやすいのは前者は歩夢・璃奈・果林、後者はかすみ・せつ菜・彼方だろうか。

発生する問題に対して侑が介入しすると解決されて各キャラクタがスクールアイドルとして成立していく。その為に侑は同好会とともにいなければならないし、問題解決という実績により同好会とともにいる事も許される。みんなを後押しするセルフプロデュース型アイドルの縁の下の力持ちのような存在でありつつ、アイドルをスカウトしてくるプロデューサのような事もする。ライブにおいては舞台裏と客席を行き来し、ファンとして楽しむ事までやってのけている。アイドルの役に立ちたいが、組織運営を見たいわけではなく、それでいてファンとしても楽しみたいという視聴者の願望器としてとてもよくできている。

自己解決できるアイドル

先に挙げなかった愛・エマ・しずくは問題解決に対して侑の介入がかなり弱い。愛とエマはほぼ自己解決だし、しずくは1年生組の中で解決された。彼らに共通するの多彩である点である。基本的に如才ないキャラクタである上で、スポーツ万能だったりバイリンガルだったり演劇をやっていたりと複数の分野で活躍している。故に自己解決への障壁が低い。一方、せつ菜・璃奈・果林も複数の分野での活動はあるものの、そもそも行動や性格に縛りがある。これが劇中での障害となるので侑は介入している。

では、自己解決させるとどうなるのだろうか。セルフプロデュース型のアイドルアニメとしてみれば何の問題もない。リードする立場のキャラの出番が少ない回において、自己完結した自立するアイドル像やリーダではなくパートナーと問題解決していくアイドル像を示していく様式はどちらも人気である。前者は愛、後者はエマ・しずくである。特に後者は既存媒体でも表現されていた関係であるそうなので既存のファンに向けた表現になっている。また、愛→エマの連続は愛の自己完結性を示して侑の絶対性を低減させてから、自分の問題解決の為とは言えエマが他者に介入するという侑の特権すら使うという流れになっている。自己解決させる事によって表現するスクールアイドルの幅を広げているのだ。

それでいて侑は全く何もしなかったわけではない。アンケート用紙を落としたりしている。しかしそれ以上は介入しない。侑には何もしないをさせたのである。

あなたはどこにいる?

10話以降はアイドルになったらどうなるかという話である。個人の問題を解決してアイドルになった以上、次の困難はアイドルに変わった事により発生したり顕在化したりするものになる。そこでフォーカスが当たるのが上原歩夢である。元々スクールアイドルをほとんど知らない、侑とともに閉じた世界にいた歩夢は自分にファンが付いて応援されるなんて意識は持っていなかっただろう。これは元々同好会にいたメンバや始まる前からファンがいたであろう愛や果林は勿論、スクールアイドルが近親者にいた彼方や友人ができた璃奈には提供できない視点である。

侑が同好会に入り浸れたきっかけは歩夢のの最初のファンであったからである。そこから問題解決という実績を以て同好会に不可欠な存在となった。これによりスクールアイドルではないがスクールアイドルの近くにいられるというかなり都合のいい立場を手に入れた。しかしファンの登場によりその特権的な立場ものきっかけが失われていく。1話で歩夢のステージを見ていたのは侑1人だったが、2話3話と進む毎にどんどん規模が大きくなり、6話以降では予告してイベントを開催するにまで至っている。規模が大きくなるのはファンが増えている証拠だろう。ファンである事自体は特別なものではなくなったのだ。

そして、ファンが付いてしまったら、そのファンに意識が向いてしまったら、それはファンに対するスクールアイドルになってしまう。スクールアイドルとしては正しいだろうが、あなたの為のスクールアイドルになったはずなのにあなたの為のスクールアイドルではいられなくなってしまうのだ。

そのギャップが歩夢の苦悩を生んだと同時に、これは侑の立場の危うさも露呈する。スクールアイドルでもない、プロデューサでもない、やっている事は裏方のように見えて好きに客席にも行ける。こんな自由なファンが許されるのだろうか。もう"あなた"は特定の個人を指す言葉ではない。客席にいる多くのファンを指す言葉になってしまったのだ。

こうなると信仰のようになってくる。信仰が付いたら偶像の側にいるには神官となる他ない。実際、スクールアイドルフェスティバルの運営として渉外や環境整備等をしている。しかし、この路線の先に待っているのはマネジメントや各技能の専門化である。焼き菓子同好会はこれをやって同好会メンバと高咲以外は入れなかった部室への侵入を果たしている。だが、能力の競争をやってしまうと規模が大きくなるにつれて役割が細分化されるので全員に関わり難くなるだけでなく、ただのファンでいながら特別な立場にいるという高咲の都合のよさが失われてしまう。

アイドルを見る場所

都合のよい存在でなくなる時、それでも残したいものは何か。それは恐らくアイドルのファンという要素だろう。アイドルアニメなのにアイドルが見られなくなったら本末転倒である。それは即ち客席からアイドルを見る事を選ぶという事である。だが、それを侑が自ら選ぶ事はできない。何故ならそれをするには自分が特権的な立場にいる事を意識していなければならないからだ。侑がわかっていてああいった行動をとっていたとしたらただの嫌らしい人になってしまう。故に外界からのイベントが必要である。

そこで機材が壊れたり雨が降ったりする。侑は技能があってその立場にいるわけので機材は直せないし、アイドルではないので雨を晴らす事もできない。更に機材はアイドル自身が直してしまい、雨に対する対処は新たなファンがやってしまった。侑が解決しないといけない問題はもうないのだ。実際、スクールアイドルフェスティバル当日にやっているのもビラ配りという専門性よりも暑くても我慢できるようなアイドルへの情熱が重視されるような作業である。

こうして無力さを見せてつけから同好会から客席を送り出されるのである。もうスタッフとして袖からは見られない。あのライブは特別な立場の引退セレモニーだったのだ。これにより"あなた"を個人からファン全体へ変え、同好会は皆の為のスクールアイドルになったのだ。それでも侑はファンでいられる。ただのファンになってしまったが、それだからこそみんなの為の虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会を楽しめる。そしてこれは同好会に自分を捧げなくてもいい、転科して自分の道を選べるという事でもある。これはスクールアイドルを選んだ各メンバとも重なるだろう。

一方、それまでの関係が消えるわけではない。ファンが増えたからこそ、最初のファンは特別になる。アイドルとしてみんなの前でその特別さを出す事はできないとしても、侑の為だけのステージは開ける。もう歩夢は12話の時点でそれをやってしまっている。

特別な場所でアイドルを見たかったができる事がなければその場所は維持できない。故に客席に降りればファンとして楽しむことはできる。しかし、アイドルと個人的な関係は続いていく。客席から見るしかないが願望を持ってしまう一部の視聴者にも幼馴染との関係を望む視聴者にも向けた形になっている。形状が変わっても、願望器としての役割は残ったのだ。

Show must go on

物語としてはここまで終わりだ。未来に希望を感じさせるようなとてもきれいな終わり方だった。しかし、こんな所で虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は終われない。これまでのラブライブの慣例としてこれで終わりではないとファンは期待するだろうし、商業的にここで展開を終わらせるなんてありえない。そしてこれだけ人気と認知を得た高咲侑のない続編はありえない。侑が再度同好会とともに進んでいく展開が望まれてしまう。

ここで音楽科への転科が効いてくるの。ただのファンでいられないなら何かを身につけるしかない。そしてスクールアイドル達といる為に楽曲提供者という立場は十分な権能だろう。更に最終回での実績がある。侑が同好会への曲を書き、同好会は侑への詞をつけた。これ以上ない実績だ。何もできないが支えられる都合のいい存在はもういない。何もできない高咲侑がいたのは高咲侑の中だけだったのだ。

散々都合のいい存在について書いてきて何故こんな事になるのか。それは我々が視聴者であるからだ。先にも述べた通り多くの視聴者がすっかり高咲侑のファンだろう。高咲侑なしの続編はない、それは即ち高咲侑がアイドルになったという事だ。そしてそれは一度袖から出なければならない。何故ならファンとして楽しむ必要があるからだ。来場していた観客の「自分もスクールアイドルになれるのか?」と言うつぶやきに対して朝香が「なれる」と応えたシーンがあったが、あれはライブが楽しかったからこそ出た言葉だろう。高咲侑がアイドルになるにはそのスクールアイドルに対する初期衝動を思いこさせる必要があった。誰かが誰かを支えて夢を叶える為に。

終わりに

高咲侑は誰かの代表としてのあなたちゃんではなくなった。しかし、新たに楽曲提供者としての立場を得るのだろう。そして楽曲提供者侑からすると同好会がYouになるという主客転倒が起きる。高咲侑の描く空を同好会はそのスコアを持って羽ばたいていく。そんなNEO SKY, NEO MAP! の続きを楽しみにしている。