咲-Saki- 第145局[背戻]

二度目だからだ――


[ここまでのあらすじ]
ネリーが嶺上開花で上がり、咲を動揺させる。しかし、マホとの対局経験がそのショックを小さくさせるのだった。次局、早くもカムイを霧散させ、安く早上がりする末原。そして親番となった爽は白い雲を使いメンチンツモ。続けて一本場にアッコロとホヤウを召喚するのであった。


ネリーの嶺上開花、これはやはり咲の動揺を誘うものであったようだ。ただ、そのショックはマホとの対局経験によりある程度軽減された。部長の特訓はまたしても大当たりである。指導者として極めて有能だ。顧問に全く出番がないのも納得だ。

しかしながら、ネリーの能力自体は未だ不明である。前回の描写を見る限り、爽の能力を感知した上で嶺上牌で上がれると確信していたようである。能力の察知自体は能力者にとっては基本として、嶺上開花は固有の能力と考えていいだろう。これを咲はマホとは違うとしていただが、能力コピーはボスキャラの能力でも王道の王道。使いこなせるからこそマホとは運用が違うという可能性も有り得る。咲が平気と自分に言い聞かせる辺りが怪しい。同種の効果を発揮できる能力者と気づいて一層焦る展開があるのではなかろうか。臨海女子は決勝進出の最右翼なのだ。


次局安上がりをする末原、爽に言わせるとカムイをもう雲散させているようだ。支配力が複数局継続しうる事と、その支配から早期に末原が逃れた事がわかる。やっぱりこいつは能力無効化に近しい能力なんじゃなかろうか。能力察知ができないのも能力を無効化しているからなんてよくある話である。


そして爽の親番、白い雲を呼び出してメンチンツモで上がる。この白い雲というのは五色雲で草木鳥獣魚虫となった白い雲だろう。宝物となった赤い雲が字牌を呼ぶように、生物となった白い雲は索子を呼ぶようだ。また、この局では雲のみを使い、カムイは使わなかったようだ。ツモれそうだからいいと思ったのか、温存しておきたかったのか、はたまた雲との相性がよくないカムイしかいないのか。

しかしいずれにせよ、連荘すると一気にアッコロとホヤウを召喚。こちらもアイヌのカムイでそれぞれタコとヘビである。会場に黒いオーラが現れているようだが、これは実際は赤ではなかろうか。空をも赤くしてしまう程に赤くて巨大なアッコロカムイの影響と考えたい。どんな能力かは明らかではないが、嶺上で上がられた時以上に咲が動揺している以上、それ相応のカムイなのだろう。


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放課後のプレアデス 第10話「キラキラな夜」

僕は今も、自分を呪い続けている

みなと


過去を呪っていてはそれをやり直す事なんてできない。やり直す為には祝福が必要だ。しかし、もう自分で祝福ができないのなら、誰かに祝福しれもらわなければならない。その祝福を祝福できる相手に。自分を祝福できた時の相手に。

みなとにとってそれはすばるだった。みなととすばるの出会いは夢ではなく現実だったのだ。過去ですら曖昧なみなとにとっては信じられ得る確定した過去の1つだった。自分を呪っていなかった時は常にすばるとともにいる時だった。みなとの扉を開け続けていたのはすばるだったのだ。

しかし、すばるにとってはそれは何も特別な事ではなかった。病院で出会った時から自然と出来ていた。みなととの再会でできるようになった事ではないのだ。扉を開けるだけでは駄目だったのだ。だから何も変われなかった。そう思ってしまう。扉を開けた相手に出てきてもらうまでは開けただけにしか見えない。


そんな話とは全く別に急にショタアニメになってびっくりした。これはこれでよいいのかもしれない。結局可愛らしい同性同士という事は何も変わらず、そういった志向なのだと確信に至りそうである。


咲-Saki- 第144局[烈火]

もいっこカンや!!

末原恭子


いよいよ持って後がなくなってきた有珠山。大将の爽は能力を使う。だが、それを察知した咲の様子から状況を察してオリに走る末原。それでも未だチャンスがあるかに見えた爽だったが、ネリーが嶺上開花を見せるであった。


気になる所は3つ。爽の五色雲とカムイの能力、ネリーの嶺上開花、そしてセンサとして機能する咲である。3つ目はおまけのようではあるが、咲というキャラクタをどう見せていくかという点で大事になっていくかもしれない。


まずは爽の能力から見て行きたい。もう各所で話題にされているが、五色の雲はアイヌ神話天地開闢に現れるものだろう(天地開闢 (アイヌ神話) - Wikipedia)。雲の種類に応じてツモが変わるものと思われる。今回は赤い雲を使い、赤は宝物だからなのか、字牌をツモっていった。また、この赤い雲の能力は地方大会でも使っていたようだ。なお、五色の内黒と黄色は既に使ってしまい、戻っていないそうだ。

五色雲の能力は恐らくツモの確率を上げるだけなのだろう。原型を考えてもどういった指向性のものになるか程度が適当に思われる。実際、大三元を張ったのは偶然であるかのようだったし、特定の役を上がる為に特定のツモをするのではなく、特定の牌をツモりやすい為に特定の役を上がりやすくなっているだけだと考えられる。咲では特定の役を上がりやすいタイプは極端に打ち方に特徴が出るという傾向からもこれが支持されるだろう。また、雲を投げる対象は任意に決められるらしい。能力の発動タイミングは配牌前のみなのかは不明だ。

カムイの方も複数種類あるらしく、こちらも連れてきたもののようだ。今回末原に使ったものは寿命の支配者(パコロカムイ)というそう。自分の上がり牌を掴ませる能力のように見える。なんだか姉帯さんっぽい。

それでこのカムイというのはアニミズム的な神の事だ。パコロというのはパ・コロに分解され、パは季節や疱瘡、コロは支配するという意味らしい(CiNii 論文 -  アイヌの疱瘡神「パコロ・カムイ」に就いて(下))。金田一京助などはパコロカムイをして歳神としていたようである。金田一の書物を読めば今後登場するカムイも予想できるに違いない。


さて、ネリーの能力についてだ。爽が張っていて次に上がれそうな事まで察知した上で嶺上開花を上がっているようである。一連の流れではあったが、他家の和了察知と自分の嶺上開花の察知は別の能力かもしれないし、また異なった能力の表現形の1つかもしれない。ただ現時点でわかるのは嶺上牌が見えているであろうという事だけだ。


そして、センサとしての咲だ。他者の能力発動を察知できない末原は咲をそのセンサとして使おうとしていた。咲は明らかにオカルト側であり、対局相手が強力な能力者であればある程、瘴気を帯びたオーラから恐怖を感じ取っている。恐らく今回のカムイだって見えていただろう。そう、咲を映せば何か起きている事自体は分かってしまうのだ。

麻雀にしろ、カードゲームにしろ、勝負事の話を作る場合に勝つ事が決まっている人の手の内は明かせない。どのように勝つかを先に明かしてしまったら話として面白味がなくなってしまう。だから映せない。咲でもしばしば見られる光景だ。しかし、咲を映すと他者の能力まである程度は明らかになってしまう。その結果、能力を今すぐに見せてもいい相手以外の行為に対する咲の反応は見られなくなる。こだわりを散々描写したカン周りへの反応に限られてしまいがちになる。まるで照魔鏡のようになっていってしまうかもしれない。



そんなわけで濃密な第144局。次号救済の為、7月中旬までおあずけだ。

放課後のプレアデス 第9話「プラネタリウムランデブー」

忘れなくては帰れないし、忘れるからこそ、今この景色を楽しめる

みなと


文化祭はそれそのものより準備期間の方が楽しいなんてよく言う話だ。時間に追われながらも、気楽に何かを作って、できていく様というのはアニメとして見ても楽しいものだろう。

しかし、プレアデスは何にもなれない女の子が何かになっていく物語である。途中で何かを予定通り完成させてしまえない。劇だって当初の計画とは配役が変わってしまった。文化祭でも同様に、準備をして、プラネタリウムが完成をさせて、文化祭当日を迎えるといったふうにはならない。

そこでスケールを変える。空間も時間も宇宙の理を超えた世界を見に行く。これはプレアデスではよくある形式であって、スケールは違うが何らかの例示として使えるような世界へ飛んで行くのだ。そうして話は進むが、確定せず、変わっていける状態になる。だから、涙は流れても記憶は残らない。

一方で、みなとはどこにも存在しないという形で確定してしまった存在なのだろう。何にも干渉できないからこそ何でも、魔法ですら使える。理を超えても記憶は失われない。物理的には死亡していたり意識不明になっていたりするのだろう。そう考えると、何にでもなれるすばるがみなとを何かになれるように変える存在になるという物語の終わりが見えてくるようだ。実際どうなるのだろう。