TV アニメの映画化が多い

ブログの方にも書いたが、ストライクウィッチーズの劇場版は素晴らしかった。夏にはなのはが、秋にはヱヴァがある。どちらも楽しみであるし、見に行くつもりだ。昨今は TV アニメの劇場化が特に多い。収益性の議論もあろうが、ここでは内容的な事について考えたい。

先程出したストライクウィッチーズだが、あれは劇場版という形式でなければ難しかったと思う。特にその1本の中で一時的な視点の交代が劇中にあるというのは劇場版ならではである。これが TV だとお当番回にしかならない。しかし、静夏というキャラを立たせる為にはそれでは弱い。501はそれだけ特別な存在なのだ。そこで1纏まりの映画という舞台において静夏の視点を用いる。こうしてやっと501に近づけるのである。エイラやサーニャの出番が少なかったと残念がる意見も見られるが、これはそれだけ彼らが特別だったからである。

このような例を考えると、これからは映画と TV が相互補完的に勧められていくものも増えていくと予想される。奇しくも先に上げた3つは全てオリジナルアニメである。まどかマギカもこれに含めてよいはずだ。対照的に、原作付きはいきなり映画化というものが多い。オリジナルは原作を待ったり合わせたりする必要がなく、映画と TV それぞれのよさを使い分けやすい。原作付きは原作にあった形態を選択するという違いだろう。

そういう訳でまたストライクウィッチーズが見たくなって来ましたね。

UN-GO episode:0 因果論

episode:0 という名の通り、因果論はアニメ本編の前日談である。49分という上映時間から考えると、ノイタミナ枠は基本的に11話編成なので13話編成であぶれた分を映画にしてしまったくらいのイメージでもよいかもしれない。詰め込まねばならなかったものを映画にする事によって描写したのだ。従って、内容的にもこの映画を見ないと本編の理解が辛い。トリックの部分はまだいいのだが、背景的な部分はほぼ理解出来ないだろう。

特に戦争に関しての描写は映画を見ないと全く分からない。そのせいで、新十郎が何故海勝麟六に挑んでいるのか、因果とは何者なのか、等々極めて重要である事が見えてこない。これが分かると本作のテーマが見えてくる。これは登場人物の行動原理と言い換えてもいい。

刑務所編では謎というものがテーマとなっていた。UN-GO全体のテーマを考えるならば、新十郎あるいは因果が謎となるだろう。所が、映画を見ないとそれが明確とならないのだ。視聴者が白昼夢を見ているかのような状態である。そう、因果論は電気ショックなのだ。

 

Twitter にも書いたけど、最終日の12/2に見に行ってきた。4話以降は毎回賞賛していたが、映画もその例に漏れず非常に面白かった。2週間でかつレイトショーという極めて限定的な公開であった事が残念でならない。しかも、パンフレットも作られていなかった。更に上映が終わったというのに未だにディスクメディア化の情報がない。これだけ評判がいいんだからどうにかして欲しいものだね。ギルティクラウンに夢を見るのはもう止めるんだ。それは、白昼夢だ。

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今回はタイトル通りの内容である。

中身は特にない。

これからはてなダイアリーの代わりにこちらに色々と書いていく事とする。

記事の移行等は面倒なのでしない。

そのような方法があるのかも知らないし、価値のある記事もないので問題ないだろう。