Star Paradeはいつの舞台か

あらまし

星見純那さんと大場ななさんはまだ役作りの最中です。Star Paradeは次の舞台になりました。

Starと名の付く曲

スタァライトにおいてStarから始まる曲は特殊な意味を持つ。そもそもStar DivineにしてもStar Diamondにしてもシングルとしてリリースされている時点で特別である。更にStar Divineは1stシングルだ。また、スタァライトは特性上劇中の歌唱曲は基本的にレヴュー曲となるのだが、2曲ともレヴュー曲として利用されている。

これに続く3曲目のStar Paradeはシングルとしてはリリースされているものの、レヴュー曲として用いられる事はなかった。ロンド・ロンド・ロンドのような構造ではないからStar Divineの別の可能性としてStar Diamondを用いる事はできないが、使いようはあっただろう。実際、舞台少女心得はアレンジされたインストゥルメンタルは用いられている。

ここでは不要だから使わなかったのではなく、使わない理由があったという観点での見方をまとめていきたい。

一番負けたくない人は一番大切な人

Star Paradeには上記のフレーズが出てくるが、スタァライトでは大切の形は約束で表される。主役たる華恋とひかりは言うまでもないし、それに並ぶだけ2人のレヴューばかりしている香子と双葉も幼い頃からの約束がある。2人で約束をして、その扱いをどうするか、というのがスタァライトの始まりであり、今回の劇場版はその決着をどうするかであった。

真矢とクロディーヌには幼馴染としての約束はないが、劇中劇で契約から行っている。2人は舞台に立つ者として一貫として描かれている為、舞台の外での約束ではなく舞台の上での契約という表現になったのだろう。

一方で、純那とななはそういった約束はない。今回のレヴューにしても、一方的なななの願望をぶつけてそれが破れただけである。スタァライトでの約束は戯曲になぞらえて塔として描かれるが、この2人はそれがない。まひるとひかりでも聖火台という塔様のものを立てているのにそれがない。この約束自体がない事がStar Paradeをやらなかった理由と考える。

また、先のフレーズは純那の歌割りであるが、そもそもななに負けたくないといった描写はあったろうか。対抗意識が全くないわけではないだろうが、一番と言う程かといえばそうではないだろう。進路についても自身のなさから来るものである。

いつも隣りにいる人へありがとうを伝えたい

こちらはななのパートになる。普段の言動だけならななは達成しているように思えるが、皆殺しのレヴューや狩りのレヴューを感謝を表したと言えるだろうか。あれは自分の願望をぶつけただけだ。こういう純那ちゃんになってと言っているだけである。

他の面子も感謝なのかと言えば微妙ではあるが、相手の決断に対して祝福をしているとは言っていいだろう。稀有な価値あるものに対して有り難しとしているから、感謝ではなくありがとうにしていると強弁はできよう。

ここでもひかりとまひるは特殊で、一時的に生活をともにした相手に明確に感謝を述べている。進路指導でも真矢とクロディーヌの次に来るだけあって、もう舞台に立てる状態にあるまひるは単純に他の組とは比較できない。

次の舞台

純那とななは最後に「次の舞台で」と約束めいた事をしていたが、こんな曖昧な約束をしたのはこの2人だけである。他は約束を果たした為、どういう約束をしたらどうなるかもわかっている。それがこの2人はない。それぞれが塔を立てている中、塔として最も重要な機能である見上げられるという役割を果たしていない高い舞台があっただけである。塔っぽい作りではあったが、上から映してばかりで高さを意識させるようなものにはならなかった。

この高さの感覚はそのまま距離感と言い換えてもいい。一方的な願望をぶつけてはねのけるのは距離感を測る過程かもしれないが、残ったのは約束めいたものの曖昧さを見れば距離感を掴めたとは言い難い。約束をしてそれがどうなるか見えていないのだ。いつまで経ってもこの2人は初めてのままである。

しかし、Star Paradeはそれではできない。稽古をして役者が関係を構築して舞台を作るように、互いの距離感を掴んだ上での曲である。今回の約束が果たされた後でやっとスタートラインに立てるのだ。2人が劇団ではなく留学を選んだ事も象徴的である。まだ学ぶ事があるのだ。次の舞台に立つ為に。

Star Paradeはその次の舞台で用いられるのではないだろうか。私はその舞台を待つわがままな観客だ。